朝、目が覚めた瞬間にふと、こう思うことがあります。
「あっ、昨日と同じ日が始まった」
予定があるわけでもない。
何か嫌なことが思い浮かんだわけでもない。
それなのに、どこか重たい。
私は、この感覚そのものが「過去に囚われているサイン」だと思っています。
「同じ日」という感覚は、いつ生まれるのか
実際には、昨日と今日が同じであるはずがありません。
空気も、
体調も、
心臓の鼓動も、
細胞の状態も、
すべて違う。
それなのに「同じ日が始まった」と感じるとき、私たちは今日を見ていません。
見ているのは、昨日までの記憶です。
もっと正確に言うと、「昨日までの自分が持っていた反応」を今日にそのまま投影している。
この瞬間、時間はもう「今」ではありません。
解消しようとすると、余計に強まる
ここで多くの人は、こう考えます。
「前向きに考えよう」
「気分を切り替えよう」
「もっと感謝しよう」
でも、これは過去に囚われた状態を思考で上書きしようとする行為です。
うまくいかなくて当然です。
なぜなら、「同じ日だ」と感じているのは思考ではなく、身体の反応だから。
解消法は「切り替えること」ではない
では、どうすればいいのか。
答えはとても地味です。
解消しようとしないこと。
朝、「あっ、昨日と同じ日が始まった」と感じたら、それを訂正しない。
代わりに、こう心の中で言います。
「今、 私はそう感じているんだな」
それだけ。
良い・悪いをつけない。
前向きにもならない。
ただ、反応として観る。
この時点で、過去の時間はすでに少し緩み始めています。
「あっ、朝が来た!」と喜べるとき、何が起こるか
では、もしある朝、
「あっ、朝が来た!」
と、理由なく喜びが湧いたら何が起こると思いますか?
人生が急に好転する?
嫌な問題が消える?
たぶん、違います。
起こるのは、もっと静かなことです。
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今日を「昨日の続き」と見なくなる
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先の結果を考えなくなる
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何かを達成しようとしなくなる
つまり、時間が「今」に戻る。
この状態では、出来事は相変わらず起きます。
でも、それらは「過去の延長」でも「未来への不安」でもなく、ただ、今ここで起きている現象になります。
喜びは「作るもの」ではなく「戻るもの」
大切なのは、朝を喜ぼうとしないことです。
喜びは、付け足すものではありません。
過去への投影が外れたとき、勝手に戻ってくる反応です。
だから、
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喜べない朝があってもいい
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重たい朝があってもいい
-
「同じ日だ」と感じてもいい
そのすべてを許したとき、ある朝ふと、「あっ、朝が来た」という、説明のいらない感覚が身体から立ち上がります。
さいごに
「昨日と同じ日が始まった」と感じる朝は、失敗ではありません。
それは、過去の反応が、まだ身体に残っているだけ。
解消しようとしなくていい。
喜ぼうとしなくていい。
ただ、その感覚を今日の朝の出来事として静かに観る。
それだけで、時間は少しずつ「今」に戻っていきます。
そして、その先にあるのが、「あっ、朝が来た!」という、何の理由もいらない喜びではないでしょうか。
と簡単に書いているように見えるかもしれませんが「また同じ日が始まった」と目が覚める毎日から向けだせずに何年も過ごしてきたのです。
そして寝たはずなのによく眠れていない日は、なんだかよくわからない不安が押し寄せてきて何も手にできないような日が日常茶飯事でした。
粛々とブロックを解除しだんだんと自分がどの感情に振り回されているのかがキャッチできるようになってきて理解できたこと。
眠りが浅い日は不安になるということ。
自分が観測できた。ということです。
だから
・私はよく眠れないと不安になると思っていたけれど、よく眠れなくて不安なるということを手放すことに意欲的です。
観測できたので、解除の対象がはっきりした。
それだけのことです。

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