ありがとうございます。
と唱えると奇跡がおこるという話はもうずいぶん前に聞いていました。(25年前)
それから15年以上たったころに、どうにも人生が上手くいかなくなり、「ありがとう」と年齢×1万回を実践してみたのです。
その時のことはこちらで解説しています。
↓
【実話】ありがとうと年齢×1万回言い続けた時に起きたこととは?
それから15年の時がたち、もう一度「ありがとう」を唱えてみようという気持ちになったので、今度は別の意味を込めて「ありがとうございます」と語尾を少し変えて実践してみることとなりました。
ありがとうございます!と1日に何回唱えることができるのか?
今回の実践では、とにかく一日中唱えるという形でのスタートとしたのですが、回数を計測しておいた方が万が一この記事を読む方の参考になるかもしれないと、指標を作ることとしました。
計測方法はキッチンタイマーを1分にセットして「ありがとうございます」と数えるという簡単なもの。
実際に唱えてみると1分で60回と少し言える感じでしたので、10分で600回。100分で6000回。1000分で60000回。というところでしょうか。
という計算式で行くと1日に6万回の「ありがとうございます」を唱えるのに16,6667時間ってこと・・・!!
「けっこうハードルが高い」「無理かも・・・」と思い、考えを改めて、1万回なら3時間弱。
「これならいけると!」1日に1万回をベースに実践していこうと思います。
「ありがとうございます」と唱える新しい自分なりの定義付けをしてみた
15年前の実践の時は「奇跡が起きたら嬉しいかも?」というノリでした。
正直に言うと、「本当なの?」という自己欺瞞に満ちた実践でありました。
潜在意識のこと。
量子のこと。
神とは?
こうした理解も少しだけでしたので、奇跡が起きたら嬉しいな。という域を超えていなかったということもあったかもしれません。
しかし今回は瞑想を習慣としたのち、以前とは比べ物にならないくらい自分なりに様々な勉強を積んできたと思えているので「ありがとうございます」の定義も以前とは雲泥の差。
その定義というのは「よきものはもう受け取りました、ありがとうございます」ということと、「過去と未来に囚われていない今現在を与えられていることに対する感謝の祈り」とでも言いましょうか?
「もう50年も生きてきたのだから恩返しのつもり」という気持ちと、よりよい暮らしを望む気持ち。
神の恩寵を得て生きる。
ということを体現してみたいという熱望も含めての実践となりました。
「ありがとうございます」と唱えて1週間目のこと
1週間目はシンプルな喜びが沸き起こりました。
街ですれ違う人にも喜びで満ちているような・・・?
熱にうなされた状態というんでしょうか?感動しやすいといいましょうか?すぐに涙ぐんでしまうのです。
なんでしょうかね、この感じ。
おそらくですが「新しい実践を始めたことによる希望」みたいな見通しが立ったような感じによる喜びであったような気がします。
新しいことを始めたことによる希望の光。
みたいなものかもしれません。
「ありがとうございます」2週間経過
1週間が過ぎたころ、これまで学んできたことが自然と理解が進むようになっていきました。
心が変わると現実も変わる、とか。
知っていたけどあくまでも知識ベース。のようなことへの理解が感覚としてわかっていったように感じます。
それと同時に悩まされたのが、実践当初の熱が冷めてしまい、唱える数が激減してしまっていることでした。
苦痛は全く感じることはありません。
しかし、意識を戻さないと「ありがとうございます」が言えなくなり、戻ってもすぐに離れていってしまうという、目覚めていない状態とはこういうことを指すのかな?と感じるのです。
実はもう一つ「ありがとうございます」を唱える定義として「目覚めていること」というのも含めていました。
ここでいう目覚めとは覚醒していて、のようなことではなく、「今ここで私は目を覚ましていて何をやっているのかを理解しています」
という状態をキープする、ということを指しています。
マインドフルネス瞑想を目を覚ました状態で行っている。ということを指していると自分では考えています。
そして唱える数が激減していっているというのは、ある意味で実践が順調であるということなのかもしれないとも感じています、
それは、慣れてきたから。です。
慣れた。ということは体に習慣として根付いてきた証拠なのではないか?と思うからです。
習慣になってきているのに数が減るっておかしくない?
まぁその辺のロジック崩壊はやってみてご自身で経験してみていただく方がいいのではと思います。
コメント