セドナメソッドを実践して体験した好転反応とは?人生を変ええる一番シンプルな方法

セドナメソッド

セドナメソッドとの出会いは、いわゆる「インスピレーションが降りてきた」のような派手なものではありませんでした。

 

願望達成系の本を買おうとAmazonのレビューを眺めていた時、ある人が何気なく書いていた「この本もおすすめです」という一文。

 

それが、セドナについて書かれた本だったのです。

 

なぜか気になった。

でも、その場ですぐに買う気にはならなかった。

数日、考えました。

そして最終的に、購入した。

 

今思えば、この「間」がすでに始まりだったのだと思います。

 

セドナメソッドを最初に読んだときの感覚

1回目に読んだ印象は、正直に言うとこうです。

 

やり方はシンプル

難しい理論もない

「これなら自分にもできる」

 

そして実際にやってみました。

 

でも、大きな変化は起きません。

 

がっかりした、というより「まあ、そんなものか」という感覚。

 

これまで実践して効果をもたらしてはくれない多くのメソッドと同じだと思ってしまいました。

 

でもなぜか、また読まされる。

不思議だったのは、その後です。

 

数か月すると、なぜかまたセドナの本を手に取っている自分がいる。

 

「今、これを読んだほうがいい気がする」そんな、はっきりしない感覚。

 

理由は分かりません。
でも、逆らえなかった。

 

2回目、3回目…

 

読んでも、やっても、人生が劇的に変わるわけではない。

 

それなのに、本から離れられない。

 

何かが「浅い」気がしていたのです。

 

おそらく、自分自身の理解が浅い。という感覚のような・・・

 

やがて、ノートを用意しました。

 

ワークを書き写し、丁寧に、真面目に取り組みました。

 

それでも消えなかった感覚があります。

「どこかまだ浅い」

 

理解はしている。

 

言葉も分かる。

 

でも、核心に触れていない感じ。

 

 

この違和感が、ずっと残っていました。

 

よい感情も手放すってよくわかりません・・・

セドナメソッドで一番引っかかったのは「よい感情も手放す」というところでした。

 

なぜいい感情も手放さなきゃならないの?

 

これは腑に落ちません。

 

本文には「よい感情も手放すこと。本来の自分へ戻る近道」といったことが書かれています。

 

でも当時私はこのことを「綱をつけずにバンジージャンプする」ような恐ろしさを感じていたのです。

 

底が見えない崖から飛び降りるような恐怖。

 

もし、

喜びを手放したら

安心感を手放したら

幸せな感覚を手放したら

私は一体、何になるのか。

 

何も残らないのではないか?

空っぽになってしまうのではないか。

 

そんな不安が、説明抜きで身体に広がっていったのを覚えています。

 

今思えばエゴがそう仕向けていたのかもしれません。

 

10回前後読んだあとに起きたこと。これが最初の好転反応?

何回目だったか、正確には覚えていません。

 

電車の中で読んでは

・その感情があることをできるだけ認めることはできますか?

・手放せますか?

・手放しますか?

・いつ?今

何度もやりましたよ。

 

人生50年でいろんな背負ったものを手放したかったから。

不要な荷物を肩から降ろしたかったから。

 

今思えば当時、まだ潜在意識に振り回されているという状態とでもいえばいいでしょうか?

 

そして5回目か、6回目か、あるいは10回目に近かったかもしれません。

(と言ってもおよそ半年は経過しています)

 

ある日、
「分かった」というより「もう動かなくなった」という「何か見通しが立った」というような感覚に近い何かが来たのです。

 

セドナメソッドは何を言いたいのか?

どこ(何を見ているのかという観測点)に立てばいいのか。

 

考えなくても、身体のほうが先に知ってしまった。

 

という感覚です。

 

そのとき浮かんできたのが、セドナの最初に出てくるこの言葉。

 

不動心

 

感情をどうにかする前に、手放そうとする前に、そもそも反応しない地点。

そこに戻ること。

 

セドナの「先」ではなく「ちょっと手前」

私は、セドナの先に進みたいと思ったわけではありません。

 

むしろ逆でした。

 

セドナが本当に機能するもっと手前の地点があるのではないか?

 

・感情を解除しようとする反応

・変わろうとする焦り

・良くなろうとする衝動

 

それ自体を、どう扱うのか。

 

そう考えるようになってから、ブロック解除のワークと組み合わせた独自の形が生まれていったのです。

 

潜在意識に抵抗を持たせず緩やかに手放すことを許可させるワークを。

 

あの「引き寄せたような感覚」の正体とは?

最初に一度戻ります。

 

・あのレビューを見つけたこと。
・数日考えてから買ったこと。

 

あれは偶然だったのか?
引き寄せだったのか?

 

今なら、こう言えます。

 

準備が整った身体が、情報を拾っただけ。

 

理解ではなく、
意思でもなく、
身体のタイミングだった。

 

さいごに

正直に言うと「もっとずっと昔に読んでおきたかった。実践を始めておけばよかった」と思うのです。

 

でもこれが絶妙なタイミングなのかもしれません。

 

わたしにとってセドナメソッドは、何かを叶えるための方法ではありませんでした。

 

変わるための技術でもありません。

 

私にとっては、「動かなくなる場所」を思い出すための装置だったのです。

 

だから、すぐに効かなかった。
だから、何度も戻された。

 

もし、

・セドナをやっても何も起きない

・分かっているのに変わらない

・なぜか手放せない違和感がある

 

そう感じているなら、それは失敗ではないのかもしれません。

ただ、まだ身体が追いついていないだけ。

 

あるいは、もう一段、静かな地点が残っているだけ。

 

私には、そう思えてなりません。

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