なぜ「奇跡」ではなく「忍耐」なのか?言葉が現実を歪める瞬間とは?

気づき

「私は愛と光と忍耐です」

この言葉を唱え始めて、こう思いました。

なぜ忍耐?
奇跡のほうがよくない?
愛と光と成功でもいいのでは?

実際、「奇跡」に置き換えて唱えてみました。

でも奇跡と忍耐という言葉に、決定的な違いがあるように思うのです。

「奇跡」という言葉が含んでしまうもの

「奇跡」という言葉には美しく、力強い響きがあります。

けれど同時に、こんな前提を含んでしまうように思ったのです。

  • 今は足りていない

  • 今は不十分だ

  • 何かが起きないとダメだ

つまり現状否定です。

これは自分で気が付かない無意識レベルではかなり、ギュウギュウと強い圧になり緊張を生むのです。

潜在意識は「否定」に極端に弱い

潜在意識は論理を理解しません。

よく聞く言葉と思うのですが、私も同感です。

潜在意識が理解するのは前提だけです。

  • 「奇跡が起きますように」
    → 今は奇跡が起きていない

  • 「私は奇跡です」
    → 今は奇跡ではない私

どちらも
現状を否定したまま先へ行こうとします。

その結果どうなるか?

「叶えようとする力」がブレーキになる

奇跡を唱え続けるほど、

  • 現実をチェックする

  • 変化がないか監視する

  • 足りなさを確認する

という行為が増えます。

原因を探し始めるということ。

これはエゴの仕事です。

エゴは現状を管理し続けることで生き延びているのです。

「忍耐」が持つ、異質な力

一方で「忍耐」という言葉。

これは何かを起こそうとしません。

  • 今を否定しない

  • 変えようとしない

  • 抜け出そうとしない

ただここに在ることを許す言葉です。

だから潜在意識が抵抗しない。

忍耐=我慢、ではない

ここで誤解が生まれやすいのが、

忍耐というと
歯を食いしばる
耐える
苦行

そんなイメージが浮かぶことではないかと思います。

でもこの文脈での忍耐はまったく違います。

それは
状態を保つ力

  • 愛の状態を

  • 光の状態を

判断せず
維持する力。を表しているのではないでしょうか?

なぜ「キープ」が重要なのか

一瞬の気づき
一時的な高揚

それ自体は誰にでも起きます。

でも現実が変わらない理由は戻るからです。

忍耐は戻らないための錨(いかり)。

奇跡は「起こすもの」ではない

皮肉ですが、

奇跡を望まなくなったとき
奇跡のように感じる現実が
現れ始めます。

それは
操作をやめた結果。

次に起きること

忍耐が定着すると
次に起きやすいのが、

  • お金の感覚の反転

  • 安心と不安の入れ替わり

です。

それを扱ったのが
次の記事です。

「お金がある・ない」の反転した量子もつれ?が解けた瞬間

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