苦しみを手放すことの難しさについて

気づき

「この苦しみから逃れたい」と思うことありませんか。

「この会社で働くもはもう嫌だ」

「できない自分がイヤだ」

etc

しかし、かの偉大な思想家は、人が最も手放すのが難しいのは苦しみである。と言っていたそうです。

解放されたいと切に願うのにそうならないのに?

なぜ? 怒

 

持っていたくないはずの苦しみという感情や信念を手放せない理由とは?

その理由は、苦しみは自分で作り上げた感情であるために非常になじみがあり、よくわからない新しい未来や未知の喜ばしいものより抵抗が無いのです。

そして、苦しみを手放してしまうと本来の自分として生きるという、人生に対し自己で責任を取る必要が出てきます。

不快でありながら取り除きたいと願う、持って生れてこなかった後付けの価値観である苦しみを手放すと、「ありのままのわたし」として生きていかなけれないけません。

それは「わたしは今のままで完璧です」という信念を持って生きるということではないかと感じるのです。

できない自分

ポンコツな自分

過去を攻めまくっている自分。

無意識下であってもそうした恥ずべき自分を抱えたまま「ありのままで生きる」ということは非常に難しいと考えることはできないでしょうか?

なので苦しみは手放せない。

 

現状維持を試みるホメオスタシスが現状維持を強化しるので自分を変えることはできない?

また別の角度から見てみると、望んでいないけど、できればそうであってほしくないけど現状維持を保ってくれるホメオスタシスが機能しているから苦しみは手放せない。

苦しんでいる。それがわたしらしいから。

苦しまないと自分ではないから。

厄介な話です。

そこで苦しみを手放すために有効なのが以下のメンタルブロック解除です。

・わたしは自分の苦しみを進んで手放すことに意欲的です。

このフレーズには意欲的に苦しみを手放せない。と反応が出る方が案外多いのではないかと思います。

この先に肯定的表明と感謝のメンタルブロック解除と繋がっていくのですが、そこは割愛するとして、

 

まとめ

苦しみを持っているのが自分らしいという現状維持機能が働き手放せないうえに、自己責任で人生を生きるという、生きる大きな目的に向かう恐怖を味わわなければいけない必要が出てくるために望んでいなくても手放せないのが苦しみという感情です。

しかし、手放すと決意表明すると気持ちが軽くなることを経験するでしょう。

持って生れていない後付けの価値観を手放すということは非常に難しいと感じます。

粛々と瞑想をしたり内観を続け見つけたブロックを解除という作業を実践していくことが一番の近道ではないかと思えるのです。

何に対して?

わたしは豊かで最高な人生を送るためです。

あなたは人生に対して何を望みますか?

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