自分の見ている世界が狭く感じて息もできないくらいに窮屈に!さらに嗚咽も!何が起きたのか?

気づき

これは、「わたしは愛と光と忍耐です」と1日100回唱えるといいことが起きる。と聞いて実践2日目に起きたことです。

100回は唱えた後のことですが、昼飯を食べて昼寝しようとベットに横になった時に「天之御中主神さまお助け下さい」と3回唱えて目を閉じているともう10年以上前に亡くなっている祖父と祖母のことを思い出すのです。

まだ眠っていません。

意識がはっきりとある状態でのことです。

「せまい!窮屈で息ができない!おじちゃん、おばちゃん、会いたい!会いたい!」と嗚咽が始まったのです。

個別記事参照

私は愛と光と忍耐です。と1日100回唱え、自分に起きた効果や好転反応を紹介します。

 

この時は今の部屋が狭いから窮屈だと思っている。くらいにしか感じられませんでした。

それから数日すると、これは性格構造に対する窮屈感や閉塞感だと理解できたのです。

言ってみれば、囚われを開放しなさい。ということと気が付いたのです。

この時までの思考は「さらなる時間と経済的豊かさをコントロールできる暮らし」を求めてメンタルの適正化の為にマインドセットを行ってきていました。

それが、上記の息ができないほどの窮屈感を感じたためにまさかの「ありのままの自分に還ること」につながっていくことととなるなんて・・・

確かに心の勉強はとても好きだし、スピリチュアルな世界も大好き。

過去30年はそうした世界をのぞき見してきましたが、なにか「スピリチャルに傾倒してはいけない」という深層心理が働いて全身で深くハマってしまうことを避けてきたのです。

しかし「わたしは愛と光と忍耐です」と唱えてみて、わたしの行く道はこういうところなんだ。と導かれた気がするのです。

実際にもう20年以上前に買って読んでいた本に必要な情報が書かれていて、自己啓発系の書籍を購入するということが頻繁に起こりました。

数冊読み進めていくごとに、今置かれている状況の解決法が見つかったり、心を整える、自己を治めるということが何なのかがちょっぴりとわかり始めたのです。

これは個人的に起きたことであり、喜ばしいことではあるのですが、「わたしは愛と光と忍耐です」と」という言葉には何か不思議な強い力があると言わざるを得ません。

 

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