私は愛と光と忍耐です。と1日100回唱え、自分に起きた効果や好転反応を紹介します。

気づき

何気なくYouTubeを見ていたある昼下がりのことでした。

ブラウジング機能によりおすすめされてきたのが斎藤一人さんの動画です。

「動画は欠かさず毎日見ています」と言えるほどのファンではありませんが、書かれた書籍を断続的に読み始めてもう30年近く。

「ありがとう」と年齢×1万回というと奇跡が起きる。というのも試したことがあるし、もし「1年間で1冊の本を1000回読みなさい」と言われたら「一人さんの本を読むかな?」と答えるくらい考え方は好きなのです。

そんなあこがれに近いような感情を抱く人が話している動画でしたから、見てみることにしたのです。

何となく心がモヤッとしていたことも関係するかもしれません。

その動画の中で話していたのが「わたしは愛と光と忍耐ですと1日100回言うといいことが起きる」といった内容でした。

「これはいいかもしれない!」と思い、早速唱え始めたのです。

わたしは愛と光と忍耐です1日目。たぶんこの日は1000回以上唱えたかも?

1日目は特に何の変化も効果も感じることはありませんでした。

とはいってもおそらく1000回以上は唱えたような気がします。

それだけ唱えるってことは心のモヤモヤをサッサと消したかったのかもしれません。

 

わたしは愛と光と忍耐です2日目

朝起きる時にも「わたしは愛と光と忍耐です」と言いつつ目を覚ますほどになった2日目のこと。

100回は唱えた後のことですが、昼飯を食べて昼寝しようとベットに横になった時に「天之御中主神さまお助け下さい」と3回唱えて目を閉じているともう10年以上前に亡くなっている祖父と祖母のことを思い出すのです。

まだ眠っていません。

意識がはっきりとある状態でのことです。

「せまい!窮屈で息ができない!おじちゃん、おばちゃん、会いたい!会いたい!」と嗚咽が始まったのです。

なにこれ?

なんなの?

自分でも何が起きたのかよくわかりませんし、その時は「もっと広い部屋に引っ越したいからかな~?」くらいにしか思えませんでした。

(これがのちに大きな変化のサインだと気が付くのです。この内容はこちらの記事で紹介しています)

自分の見ている世界が狭く感じて息もできないくらいに窮屈に!さらに嗚咽も!何が起きたのか?

 

そして同日の夕方のこと。

「感謝って何なの?」という感謝に対する意味づけが定まらず、何に対して感謝するのか?もイマイチ府落ちできていないという未熟者のわたし。

徒歩で駅方面に向かう道すがらのこと、「天照大御神、今ここにまします、新たなる全徳の無限の輝きで一杯」とブツブツ言っていると本日2回目の嗚咽が始まったのです。

50歳近くのおっさんが一人で泣きながら歩いているのだから、さぞ気色の悪い光景であったと思うのですが流れる涙は止まることがありません。

これって浄化の涙?

それは分かりませんが、感謝の意味が少しわかった気がしたのです。

「感謝はしてもしきれないもの。しつくせないのだからそれでいいのだ。」

という理解ができたのです。

(ちょっとバカボンのパパみたい?)

 

わたしは愛と光と忍耐です1日に100回、3日目~5日目にかけてのこと

そうして唱えることが日常になってきた日のこと、いろんな気づきがありました。

不足感

未熟さ

幼さ

と言った価値観を大切にしていること。

親から影響を受けた価値観を大切にしていること。

まだ親と一緒に暮らしているという幻の信念を持っていること

etc

親の価値観で生きていることに気が付いた出来事についてはこちらで紹介しています。

もし自分が、母親が思う父親像で生きている。という信念(呪縛?)を持っていたら何が起こると思いますか?

価値観がグラグラと大きく揺れるのを感じつつ10日目を迎えたのです。

 

10日唱えて起きたこと

私は愛と光と忍耐です。と唱えて10日がたとうとしている日のことです。

車を運転していると胸にずしんと来る衝撃を感じたのです。

この感覚はお店をやって来て資金繰りに困りお金が無い状態になった時に困り果てて「お金がない」というメンタルブロックを作りまくっていた時に感じていた感覚に非常に似ていたのです。

「お金がない」の体感覚ってゾクゾクを通り越したなんとも気色の悪い、とっとと消し去りたいものでしたが(消そうとも消せない)その感覚の裏返しのような感覚を覚えたのです。

「お金がある」という感覚と「お金がない」という感覚はよく似た双子の姉妹のようでした。

と冷静に書いていますが、この時も嗚咽が止まりませんでした。

お金に対する感覚がオセロのようにひっくり返った瞬間でもあります。

と、10日ほどでこのような反応が起きたのですが状況が好転したと言えるのでしょうか?

私は愛と光と忍耐です。という言葉は何か特別な力を持っているということになるのでしょうか?

 

さいごに

書籍で読んだことはなく、動画で斎藤一人さんの話を聞いて初めて知った「わたしは愛と光と忍耐です」という言葉ですが、

・聞いたことがあるけど効果はどうなの?

と気になっている人は多いと思うんです。

そして何かの奇跡が起こせるのか?と言うとそうではなく、この言葉は潜在意識の浄化の役割を果たしているのではないかと思うのです。

そもそもの言葉の意味を考えてみると

「わたしは」は「わたしはわたしの主であり私は次に続く言葉で生きることを選択します」という意思表明の意味。

「愛」は慈愛の精神をもって

「光」は私と人の心を輝かせます。

「忍耐」はその状態をキープします。

ということなのではないか?と思うのです。

頭では、言葉ではわかるけど行うは難しいと感じます。

特にキープすることは・・・。

10日続いている(3か月以上たった今でも)と書きましたが、そんなに簡単ではありませんでした。

・こんなこと言って何になるのか?

・人からヘンだと思われるんじゃないのか?

・時間の無駄になるんじゃないのか?

・そもそも続かないんじゃないのか?

こうしたことが何度頭をよぎったことでしょう?

試してみようかな?と感じる人が想像できる感情は全て感じたと思います。

しかし、継続してみる価値は非常に高い言葉だと強く感じるのです。

それともう一つ、「この答えが知りたい」と思うと、フッと直感で答えを得やすくなったこと。

時間がかかる時もあるし、ノートに書いてトイレに行くとすぐに答えが出る時もあるけれど、気になっている問題の答えが出やすくなったかな?

というのを感じます。

これが効果なのでしょうか?

 

なぜ、私は愛と光と奇跡ですではないの?

なぜ「忍耐」ですなのか?

「奇跡」ですでもいいんじゃないのか?

と思う時もありました。(実際に忍耐を奇跡に変えて唱えていたともありました)

でも「奇跡」とすると現状が気に入らないから奇跡を望んでいます。と唱えていることになるのでは?判断が介入してしまうと思うんです。

結局は、なにかを望む判断が入ることによる現状否定が強化されるから「忍耐」なんだと。

どうやってこの言葉を生み出したのか?すごいとしか言いようがありませんが、継続してみて持つ力の強さを実感するのみです。

 

1000回以上言い続けてきて・・・

その後、半年は言い続けてきたでしょうか?

これは書いていいのかどうか悩んだのですが、驚くべきことが・・・

経過について知りたい方はこちらを覗いてみてください。

私は愛と光と忍耐ですと半年以上言い続けて何が起きたのか?

 

我は神なり 愛と光なり も同じ効果がある?

※追記

私は愛と光と忍耐です。という言葉以外にも 我は神なり。愛と光なり。という言葉も同じ効果があるそうです。

また、「天照大神様、お助け下さい」「天之御中主神様、お助け下さい」「天照大神様、いつもお助けいただきありがとうございます」「天之御中主神様、いつもお助けいただきありがとうございます」という言葉も同じ意味を持っていると解説されておりました。

個人的には「天照大神様、今私に力をお貸しください」や「天之御中主神様、今私に力をお貸しください」というのも同じ意味があるように感じます。

神様に謙虚にお願いするという姿勢が大切とも解説されていたので、自分に合う言葉を選んで唱えていこうと思います。

と、上記にあげた言葉はどれも「こうしたい」「こうなりたい」といった願望は含まれていないように感じます。

願望の入っていないアファーメーションはもしかしたら潜在意識の浄化を促す効果があるのかも?と思えるのですがいかがでしょうか?

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